- はっぴいえんど. さよなら通り3番地. 1973.
- ムーンライダーズ. スイマー. [1978] 2016.
- ティン・パン・アレー. SHE IS GONE. [1975] 2011.
- 吉田美奈子. TOWN. 1981.
- 角松敏生. I Can’t Stop the Night. 2020.
- METAFIVE. Don’t Move. 2016.
おはようございます、#FalettinSouls です。今日は最高気温がそこそこ上振れするみたいですね。ちょっとずつあったかくなるといいですねー。それでは今日もやっていきましょう。今日は「はっぴいえんどがロックの源流かは知らんけどファンクネスの種は撒いたよ」特集です。
できそうな感じがしてきたから、行ってみるか。#FalettinSouls 今晩は「はっぴいえんどが蒔いた種はどっちかというとロックよりファンクだったんじゃないの仮説(放言)」特集です。
01. はっぴいえんど. さよなら通り3番地. 1973.
はっぴいえんどは、細野晴臣・大瀧詠一・松本隆・鈴木茂の4名によるフォークグループです。1960s後半から1973年まで活動していました。これ自体はあんまりファンクな曲とは言いにくいのですが、今回はここから始めます。
ところではっぴいえんどというグループは批評的に面倒くさい問題があります。「はっぴいえんど史観」という者です。これは掻い摘んでいうと、「はっぴいえんどが邦楽ロック史の源流である」という主張です。これは既にある種の歴史修正主義的な根拠の薄い主張であると批判が加えられています。
自分は1950-70sにおける邦楽ロック、特にグループサウンズとフォークとの間の関係についてなんら語る言葉を持たないので、その論争には立ち入りません。しかしそれはそれとして私の関心は、はっぴいえんどの関係者を追っていくと、かなり高い確率でファンキーな楽曲に出会える、ということにあります。
そんなわけで、はっぴいえんどは、はっぴいえんど史観を採用せずあくまでフォークロックの楽曲として聴いたとしても、そこに70s初頭R&Bへの眼差しがあったんじゃないか。やや根拠薄めながら、そう仮説しながら私は聴いていたわけでした。このさよなら通り3番地、前期Slyの一曲の翻案ぽく聴こえてくる。
02. ムーンライダーズ. スイマー. [1978] 2016.
鈴木慶一さんは本当に多彩な仕事をされてきた方ですが、まず70年代はちみつぱい、そして(火の玉ボーイズになりかけて)ムーンライダーズの活動で知られます。
鈴木慶一さんの音楽活動遍歴は本人インタビューなどみていただくとして 、彼の音楽活動の傍には何度もはっぴいえんどのフックが生えていたんですよね。友人に聴かせてもらったはっぴいえんど曲で日本語歌詞にこだわりはじめたり、ムーンライダーズの名前のきっかけになったり
ムーンライダーズとはっぴいえんどメンバーとの関わりは、解散コンサートの座組なんかにも出ています。松本隆さんとの繋がりが主にあったみたいですね。〔注:httpsでないためセキュリティ注意〕はっぴいえんど解散後にどんどん本格的に(鈴木慶一のプロジェクトとして)動き始めたのがムーンライダーズ。
さてこのスイマー、これも厳密にはファンクど真ん中ではないんですが、1975年の日本ですでにこのBメロのベースとドラムスが鳴ってることの若干のオーパーツ感は、ありますよね。たまに破裂するベースの”ブィンッッ”って音が特にいい。
鈴木慶一さんの活躍は、ほかに高橋幸宏(YMO)とのプロジェクト「ビートニク」なんかも重要度高いのですが、高橋幸宏さんはあとで出てくるので今回は拾いませんでした。またこんどねー。
03. ティン・パン・アレー. SHE IS GONE. [1975] 2011.
はっぴいえんど解散後からYMO(イエローマジックオーケストラ)の間に、細野晴臣はこのティン・パン・アレーというバンド活動をしていました。初期だけ「キャラメルママ」と名乗っており、アルバム名にもなってます
キャラメルママ=ティンパンアレーのメンバーは……細野晴臣・鈴木茂・松任谷正隆・佐藤博・林立夫。最初の2人ははっぴいえんど仲間として、後にユーミンこと荒井由実の夫になる松任谷さんが出てくるのかー、となりますね。佐藤さんと林さんも、大人物過ぎて生やさしい紹介ができません。みんなPだもん。
さてSHE IS GONE ですが、これさあ、海外のニューソウル的なシーンを完全にキャッチアップしてますよね。#FalettinSouls で紹介してきたダニー・ハサウェイやビル・ウィザースのノリまんまですもん。
特に細野さんのベースと松任谷さんのキーボードね。林さんの16ビートの刻みも素晴らしいし後半の鈴木さんのワウギター完璧だし、いかん全員を言挙げしてるうちに1ツイート終わってしまう。細野さん周りのファンク&ソウル解釈は当時日本国内最高水準だったんじゃないでしょうか。
04. 吉田美奈子. TOWN. 1981.
やっと紹介できたシリーズの筆頭でした、吉田美奈子さん。1980年代にはすでに「ファンクの女王」の名を(自然発生的なのか商業戦略なのかは要検証ですが)持っていたひとです。円熟期のアルバムの1トラック目ですね。さてこの曲……
なーんかサビとかコーラスの入れ方、どことなくファンクモードの山下達郎っぽくね? と思って検索したら、丁寧に書かれたWikipedia日本語版のクレジットにいました、ストリングスとホーンのアレンジに山下達郎。作詞作曲は吉田さんなんですが、達郎の存在感、魔法めいてる。
はっぴいえんど、ムーンライダーズ、YMO、荒井由実&松任谷正隆、山下達郎、大貫妙子、吉田美奈子……と並べると、いま還暦近い人の世代がLPを通じて聴いてたミュージシャンの「えっ、インターネットもサブスクもないのにそこまで世界のポップミュージック深掘りできてたの、やべえ」て改めて思います。
ところで何度か言ってますが、山下達郎はまずSpotifyなどサブスクには降りてきません(すぎやまこういち等と同様、本人のこだわりがあると思います)。それは問題ないのでいいのですが、70年代日本のファンクを考える上でシュガーベイブ・山下達郎の音源をさくっと参照できないのはだいぶハードです。
〔Blog版追記:同様の理由で、はっぴいえんどの重要人物の一人であるはずの大滝詠一も今回取り扱えていません。Spotify番組としては紹介できませんが、解散後の大滝詠一はどのようにファンク・ソウル・R&B的なものと接していたのか、いつか補足できればと思います。〕
05. 角松敏生. I Can’t Stop the Night. 2020.
みんなのうた「WAになって踊ろう」と、そのV6カバーの作曲家としての功績が一番大きいとされますが、実ははっぴいえんどのフォロワーを公言してもいます。また本人自身が邦楽シティポップの嚆矢の一人として数えられることも多い
ところでここにこんな書評論文があります:
加藤賢. 2020. 「『シティ』たらしめるものは何か?:シティ・ポップ研究の現状と展望」『阪大音楽学報』45-62. 大阪大学文学部・大学院文学研究科音楽学研究室. (https://ci.nii.ac.jp/naid/40022398945/ 2021-01-20 accessed.)
この加藤2020紀要論文は、先に述べた「はっぴいえんど神話」の牽強付会を指摘しつつ、なお1970-80sの間に日本においても普及していた「シティポップ」なる音楽についてどう考えるかを論じてます。
立て付けが「書評論文」なのは、石原慎太郎、五木寛之、町田康、松本隆の4名を中心に論じたドイツのモーリッツ・ソメによるジャパノロジー研究の博士論文〔本記事末に注釈あり〕を敷衍して、加藤2020が議論をさらに展開してるからですね。
なるほど確かにはっぴいえんどは「日本ロックの祖」ではないみたい。けれど、他方で半世紀かけてこの極東日本ローカルの社会的構成概念と化した“シティポップの(何度も再創造され直した)祖型”として、概念の妖怪として、君臨してるようですね。ソメ博論や加藤賢さんの今後の出版物にと期待ですね。
この #FalettinSouls は、素朴な水準にとどまっていることを承知で再度申し上げると、【日本の音楽シーンにおいて、ファンクミュージック(およびソウルミュージック)は、どんな風に息づいているか】、これにうまく答えてゆくチカラを高めるためにやっています。
そして初期ファンクを輸入した邦楽のキーパーソンたちは、先のソメ論文&加藤書評論文において、シティポップと呼ばれる音楽様式の系譜の中にほぼ重なる。従って自分が「邦楽ファンク」「邦楽ソウル」を求めて半世紀前を掘ると、シティポップという別の妖怪めいた岩盤にぶち当たるということです。
ではそこで、シティポップとファンクはどんな関係性にあると言えるのか、どういう風に言説を学んだ上で分析し直していくのか、このへんは学習と自己批判を重ねないといけないところかなーと思います。余談ですが、加藤2020論文の最後の方にcero(紹介済)が出てきてびっくりしちゃった。
全然角松さんの話になってないけど、角松さんは読んでくるバンド含めて円熟のファンキーな演奏を見せてくれます。どっちかというとAORかもしれないけど、こういうジャンル判断の妥当性を自己吟味したいことも含めて、シティポップ論、気になるなあ〜。
06. METAFIVE. Don’t Move. 2016.
高橋幸宏 × 小山田圭吾 × 砂原良徳 × TOWA TEI(テイ・トウワ) × ゴンドウトモヒコ × LEO今井 の6名によるバンドです。
一人一人説明するとまた長くなるので最初の2人だけ言うと、YMOのドラムスが高橋幸宏さん、フリッパーズギターで小沢健二と短期間一緒に組んだ後にひとりプロジェクト「コーネリアス」名義でいろんな仕事をした人が小山田圭吾さん。最近は『ドラマ サ道』に楽曲提供してましたね(1年半前が最近?)
ほかの4名もキャリアが華々しいので調べていただくとして……このMETA FIVE、たまにライヴに細野晴臣が来たりすると、もう「坂本龍一だけ居ない状態のYMO拡大バンド」みたいになったりします。でも本日紹介した通り細野晴臣は必ずしもテクノだけの人ではないし、高橋幸宏も同様。
自分はYMOもそこそこ好きですが、どちらかというと「テクノやってない時の細野晴臣と高橋幸宏の技巧の発露」が大好きなんですよね。なので高橋幸宏側のそれが聴けて、とても嬉しいです。高橋さんは今ガンで闘病中のようですが(Twitterで経過報告が上がる)、ファンみんなで快癒を祈っています。
今日は解説が難しかったですね。明日は金曜、単一ユニット特集の日です。明日はブルーノ・マーズ。とはいえ正直あんまり推してないので(をい)、ゆるーく短く特集するよ。いや凄いんだけどねブルーノ……明日はその辺の微妙な評価態度の話をします。
補足:高橋幸宏が居たサディスティックミカバンド、今回選から漏れましたね。そのうちそのうち。
※ Sommet 2020 論文について
ソメ書評論文の対象について事実誤認があったと、書評論文の著者である加藤さんから訂正コメントを頂戴しました。
とのことで、こちらに確かに訂正するとともに、きちんとした書誌情報を記しておきます:
モーリッツ ソメ (=Moritz Sommet) (著) and 加藤 賢 (翻訳). 2020.「ポピュラー音楽のジャンル概念における間メディア性と言説的構築:『ジャパニーズ・シティ・ポップ』を事例に」『阪大音楽学報』9(16-17): 15-44. (https://researchmap.jp/Kato_Ken/misc/30252425 , 2021-01-26 accessed)
2021年中に「はっぴいえんど史観」と「シティ・ポップ」について、音楽学研究者と音楽評論家たちが集まって研究を進める予定があるようで、今後もとても楽しみですね。たぶんそれは、1960-70における日本のソウルとファンクの受容史をさらにクリアにするものだと期待しています。