Marvin Gaye. The End of Our Road. 1969.
Marvin Gaye and Tammi Terrell. You’re All I Need To Get By. 1968.
Marvin Gaye. What’s Going On. 1971.
Marvin Gaye. Trouble Man. 1972.
Marvin Gaye. Sexual Healing. 1982.
Marvin Gaye. Third World Girl. 1982.
FalettinSouls 今日で春先まで予定なしのシーズン1最終回です。まだまだ捉えきれてない名盤名音楽家たくさんありますが、ちょっと深掘りする時間をいただきますね。まだ『ベースマガジン』のファンク特集だって読みきれてないしね。シーズン1最終回は20世紀ソウルの悲しき王者、マーヴィン・ゲイ!
1. Marvin Gaye. The End of Our Road. 1969.
マーヴィン・ゲイの仕事は「What’s Going On以前」と「What’s Going On以降」に分かれると言っていいと思うんですが、このマーヴィンは「以前」の方です。ただし歌唱法はすでに後期への片鱗を見せています。
1650-60s の代表的な男性ソウル歌手には、たとえばファンクを発見する前のジェイムズ・ブラウンなんかがいます。それから不朽の歌い手、サム・クック。どちらも #FalettinSouls で紹介しました。まだクラシックソウルが単なるソウルだった時代、とにかく歌のめちゃうまな男性たちがソウル界隈にいた。
ところでそもそもソウルというジャンルはなんでしょうか? 音楽史的には、キリスト教圏のひとつであるアメリカにおいて、アフリカ系アメリカ黒人たちが讃美歌の一形態としての「黒人霊歌」を生み出したところからソウルの歴史は始まってます。[1]大和田俊之. 2011. [選書] 『アメリカ音楽史: ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』講談社(講談社選書メチエ). (Amazon URL)
その黒人霊歌と、ブルースと呼ばれるユニークなコード進行を持つ黒人音楽とが、同じアメリカ黒人文化圏内で交差したところに、商業音楽としてのソウルも立ち上がりました。米国内の音楽ビジネスとして初期のソウル(今でいうクラシック・ソウル)が存在感をもっていたのは、先も触れた通り1950s-60sの頃。
その頃というと、アフリカ系アメリカ黒人文化圏から出てきたもう一つ重要なジャンルがありますね。ジャズです。すでに1940s半ばには「ビバップ・ジャズ」がニューヨーク等で生まれ、チャーリー・パーカーやマイルス・デイビスなどがジャズの歴史を驀進させ始めていました。
ゴスペル、ブルース、ジャズ。こうした、べつべつのアメリカ黒人文化が胚胎した財産が、やがて公民権運動が起こる直前のアメリカ黒人文化において、神のための歌ではなくアメリカ黒人の世俗の暮らしを歌う歌曲として、徐々に再編されていったわけです。
なんでこんな話を長々と? マーヴィン・ゲイを理解するためには、この1950s-60sの「ソウル音楽ビジネス」シーンをある程度共有しないといけないからです。What’s Going On によってマーヴィン・ゲイはR&Bビジネスを塗り替えました。では塗り替える前はどんな風だったのか。それを共有しないといけない。
2. Marvin Gaye and Tammi Terrell. You’re All I Need To Get By. 1968.
タミー・テレルとの共演作。彼女は1970年に24才という若さで脳腫瘍のため他界しています。マーヴィンはこの時すでに妻がいましたが、それとは別に相棒として、タミーのことを特別な存在と考えていたそう。
モータウン・レコードといえばソウル史およびファンク史において黄金のピラミッドのような存在ですが、綺麗な側面ばかりではありませんでした。史料を確保しなければきちんとは語れませんが、タミー・テレルは特に、モータウンにより成功した人々に踏みつけにされた側と言えます。
ソウルビジネスに痛めつけられつつも歌うことをやめなかったタミーと、ソウル音楽に関わりながら今ひとつ前進できなかったマーヴィン(一説によれば初期マーヴィンはライヴが苦手だったといいます、【要検証】)、2人の短い蜜月とその別離が、その後のマーヴィン・ゲイの音楽性を大きく塗り替えました。
3. Marvin Gaye. What’s Going On. 1971.
ベトナム戦争への介入が米国内で非難を浴びていた頃の作品です。慎重に言わなければなりませんが、これは少なくともR&B史においては間違いなくそして見方次第では世界でも【要検証】初かもしれない、「コンセプトアルバム」でした。
アルバムとしての『ホワッツゴーイングオン』を通しで聴いてもらうとわかるのですが、このアルバムは一応トラックが分けられておりながら、一曲目(What’s Going On)から最後の曲(Inner City Bruce)まで、共通のシャララ&チャカポコリズムで繋げられながら、事実上ノンストップで演奏が続きます。
時にWhat’s Going On の発表年をみてみましょう。1971年、まだギリでhiphopが生まれていませんね? 今であればDJがやる曲の繋ぎ変えに近いことを、アルバムで、自分の曲で、やってるわけです。単なるメドレーでしょと言われればそれまでですが、ライヴでなく録音作品でそれをやるのは当時異例だった。
もう一つ、このアルバムは「ソウル音楽ビジネス」としても異例だった。当時、アメリカ白人の音楽市場とアメリカ黒人の音楽市場は容易に混ざらないものという認識が普通でした(公民権運動が1960s半ばであることに再度、注目してください)。さらにまだ当時、ソウルはシングル売りの方が強かったのです。
つまり、たまにソウルの大物がアルバムを作るとしても、売り方の主戦場としては基本シングルに力を入れるのが普通だったわけです。そしてそもそもR&Bで、日常の情感や性愛の賛美を超えて、反戦思想や都市部の悲惨な黒人の暮らしを歌い上げるということは、既存の市場にほとんど流通していなかった。
しかし、マーヴィン・ゲイは、主にアメリカ黒人に向けてビジネスすることが商習慣となっていた当時のソウル市場、そこから構築されるソウル音楽シーンに対して、「フルアルバムを通しで聴くことを要求する、明確な社会批判を内包したソウル音楽」を、撃ち放ったわけです。1971年、その時歴史が動いた。
この時期のマーヴィンは、ベトナム戦争にうんざりしていましたし、タミー・テレルとの別離について立ち直れていなかったとも聞きます。しかしその暗い視座から、その後の70年代ネオソウル組(スティービー・ワンダーやダニー・ハサウェイ)が、市場に迎合しない独創的なソウル音楽を試す道を拓いた。(2021-12-29 ニューソウル/ジャズ・フュージョン特集)。
4. Marvin Gaye. Trouble Man. 1972.
やっと4曲目。これはマーヴィン・ゲイが映画『トラブル・マン』に提供したサウンドトラックの主題曲です。What’s Going Onと音の要素が近く、これも後期マーヴィン・ゲイの代表曲のひとつです。
この曲を聴いて思い出したのは、『アークザラッドII』のアルディア周辺の音楽です。T-SQUAREの安藤まさひろさんがジャズ・フュージョンの文脈を活かしてファンタジーRPGの音楽を作られていたわけですが、都会的な雰囲気を描写するときに参照されたのは、もしかしたらこのTrouble Manだったかも。
自分は中学生にスガシカオに出会ってファンク&ソウルの世界に徐々に誘われていったわけですが、その前から自分でエレクトーンでT-SQUARE「TRUTH」を弾いたり、それがフュージョンと知らずに『アークザラッド』楽曲を聴いていたことで、ファンキー&ソウルフルなものに馴染む準備をしてたかもしれないですね。今思うと。
5. Marvin Gaye. Sexual Healing. 1982.
さてマーヴィン、Let’s Get It On(未紹介)や I Want You (紹介済)など70年代なかばにも名曲を多数出しますが、同時に私生活はどんどん破綻してゆきます。離婚協議したり、麻薬に逃げてしまったり……。
それでもマーヴィンの才能を評価する周囲に支えられて、80年代初頭にもアルバムを出すことができました。それが『Midnight Love』。その中でもSexual Healing は晩年の代表作となっています。
6. Marvin Gaye. Third World Girl. 1982.
しかしこのアルバムが最後の遺作となります。45歳の前日、心身共にボロボロなマーヴィンは実家で父と言い争いになり父を殴打、反撃に出た父はマーヴィンの贈った銃を構えて息子を二度撃ちました。父は息子を決断的に殺したのです。
父は厳格なペンテコステ派の牧師でありながら、幼いマーヴィンに執拗なDVをするという二面性を持っていました。マーヴィンの人格形成はそのような家父長制との抗いの中で形成され、私達に偉大な音楽を示し、しかしその中で幸福を得られたかはわからないまま、劇的な死に方をしたのでした。
ちなみに自分はマーヴィン・ゲイが父親に撃ち殺された年に生まれています。何もかも終わった後に長じてファンクとソウルを好きになり、マーヴィン・ゲイにハマってから彼の死に方を知り、なんとも言えない気持ちになりました。偉大な音楽家に必ずしも安寧が齎されなかった悲しみがある。
タミー・テレル時代を含む前期、『What’s Going On』以降しばらくの後期、そしてなんとか失意の中でも音楽を続けられていた晩年を振り返りました。マーヴィン・ゲイは実は録音の作り込みでも高度な事を多くやっておりますが、それはきちんと調べを進めたときに特集したいですね。
さて #FalettinSouls 第一シーズン、マーヴィン・ゲイをトリとして語りましたがこれにて第一シーズンおわり! 春先にまた第2シーズンは連載形式を変えてやりたいと思いますが、3月の大半はお休みさせていただきます。暫くは過去のBlog版などを聴き返してくださいねー。[2]のち、2021年04月にSeason2スタート。月曜1回を基軸に不定期に金曜日単一ユニット特集を続けることになる。
脚注一覧
↑1 | 大和田俊之. 2011. [選書] 『アメリカ音楽史: ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』講談社(講談社選書メチエ). (Amazon URL) |
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↑2 | のち、2021年04月にSeason2スタート。月曜1回を基軸に不定期に金曜日単一ユニット特集を続けることになる。 |