反応があまりに予想通りだったので補記

 相変わらず反論ヒエラルキーが低いなあと思ったので寸評してあげよう。今回はDH2だね。精進してね。
 業界批判としか読めてないのなら,相変わらず読めてない証拠。今回の文章は(というか,毎回そうなんだけど)TRPGの受容者の側がシステムデザインの優れた部分とどういう風につき合っていくか」が主題にある。〈設計〉の担い手をあげつらうのが問題の本質ではなく,〈設計〉を吟味した上で〈運用〉を考えるという話ね。それをふまえて言うんだが,『死にバラ』は,ちょっと検索すればわかるように「遊び方のサポート」というものは相当できてない。そういう点で『ガンメタル・ブレイズ』は今後,遊び方をどうサポートするかという点ではまったくの未踏領域に挑みうる。回転翼さんの『ガンメタル・ブレイズ』エントリで書かれた疑問に応えるようなサービスが必要となる。その挑戦はプロにとってやりがいがあることだし,ユーザーを幸福にする作業でもあるんじゃないかな。自分はそれについてはとても期待しているし,またたとえ自分が期待していなかったとしても,必ずやり遂げてくれることだろうと考えている。
 こういう趣旨のもと,「けれど,『死にバラ』はものすごく速い段階でこういうアイディアをシステムのメカニズムとして実現した同人TRPGシステムだったね,それが続かなかったのはとても残念だね(おそらくプロのTRPGベンダのように「TRPGシステムにおいて,サポートは何か」というところまで含めて戦略的に振る舞えなかったからなのだろう)というようなことも同時に批判している。つまり『死にバラ』を肯定しているようでいて,実はその隘路も同時に指摘しているわけだ
 そういう意図について特に何も思わないで,「業界を批判している」,と読み違えるようなら,それはあなた,それこそアマとプロを混同してプロを馬鹿にしてますよ,と私には思えます。あなた,誰の味方してるつもりなの? という話になる。自分の言論が,自分の好ましい人たちのみぞおちを図らずも殴っているかもしれないことに,どれだけ気づいているかな?(「地獄への道は善意で舗装されてる」,だっけ?)まあ,君が誰を言葉で殴ろうと,それぞれの受け取られ方があるから知った事ではないのだけれど。

 そもそもね,システムデザイナーによって最初に作られた基礎的なメカニズムデザインと,(メカニズムの基本仕様の変更も含めた)ユーザーサポートの中でなされる諸々の事は,全然別の作業としてみた方がいい。Vampire.S氏の〈ポリシー〉と〈メカニズム〉の区別で言うと,あるゲームで達成したい〈ポリシー〉を目指した〈メカニズム〉がセッションの現場で使われるのが望ましい。
 そしてメカニズムに関わる作業は,だいたい以下の作業分野に分かれる。

  1. カニズムの基礎設計(明示化された〈ポリシー〉が含まれる)
  2. カニズムの改造
  3. カニズムに沿ったボード(=ゲームを遊ぶのに必要な〈背景世界〉)の設計
  4. カニズム及びボードに沿ったギミックマニュアル(=GMが使うシナリオのこと)の設計
  5. 以上の4つの作業を経た上での,セッション運営(=プレイヤーにゲームを提供する作業)

 TRPGの商業というのは,(1)から(5)までのすべてを,ユーザーの望みに応じてサポートしていくというスタンスで成り立っている。「メカニズム設計」「メカニズム改造」「ボード設計」「ギミックマニュアル(=シナリオ)設計」「セッション運営」この5つが,卓上に「TRPGというゲーム」を生み出すための五つの手続きだ。そして,これら全てをビジネスにし得るのが,プロのTRPGベンダだ。
 『死にバラ』が優れているのは,メカニズム設計の点で新しい視点を示した事だ。しかし他はどうか?「メカニズム改造」「ボード設計」「ギミックマニュアル設計」「セッション運営」まで,ルールブックやその他のサポート記事においてサポートされていただろうか?
 されていない。『死にバラ』は基礎メカニズム設計以外の仕事をほとんどしていない。そうした作業は,おそらくデザイナー自身やその他マスタリングした人々が対面でほとんどを補っただろう。ボード設計は「既存の犯罪映画一般」に仮託しているという点で典型的な〈第三世代型RPG〉だし,改造しうる変数やシナリオ作成の指針等もそれほど充実しているとは言えない。「それが同人の限界だ」という事もできるし,「しかしそのような他の作業をも“サービス”として発掘してきたのがプロのTRPG市場のあり方だ」とも言える。
 しかし,それでも純粋に〈システム選択〉というゲームマスターの作業を考えたとき,必ずしもプロのサポートのすべてを購入する必要は無い。「メカニズム改造」「ボード設計」「ギミックマニュアル設計」「セッション運営」に,何らかの独自の手がかりがあれば,後は純粋に「そのメカニズムの基本的な〈ポリシー〉は何だったのか」ということになる。
 文字だけでわかりにくいのであれば,氷川霧霞さんのこのエントリを読めばよく理解できるだろう。

氷川霧霞,2006,「TRPGの苦労は買ってでもしよう」(http://www.trpg-labo.com/modules/article/index.php?content_id=45,:2007.08.25).

 こういう前提を共有した上で,「手厚いサポートが今回は必ずしも必要ではなく,ポリシーに対応する基本アイディアだけがゲームマスターに足りないだけだ,と言うとき,〈システム選択〉はいかに為されるべきか?」 を問いかけたとき,そこで初めて,『ガンメタル・ブレイズ』と『死に急ぐ奴らのバラード』は,「メカニズム設計」というその一点で相互に評価しうるものとなるのだ。そして,その二つはなかなか良い勝負をするように思うのだが,どうだろう? もちろん,色々なサポートを必要とする初心者GM,あるいはプレイヤーたちが独自に熟読して「TRPGの手続き」を把握した状態でぜひともゲームをやりたい,という場合は,『死にバラ』は『ガンメタル・ブレイズ』にかなう訳が無い(そこには莫大なプロの仕事が投下されている)。しかし,「遊ばれる手続きがルールブックにおいて丁寧に書かれていること」と,「メカニズムの基本的な仕様それ自体」は,〈システム選択〉という作業においては,分けて考えてかまわない。
 それが,TRPGという営みにおいて〈設計〉と〈運用〉とを区別した時に言えることだ。
 この基本的な区分けには一定の批評的効能があると自分は考えているのだけれども,その前提を理解せず別の方向で論駁しようとしても無駄だし,取り上げる気にならないよ。そのことははっきり言っておく(もちろん,この考えそれ自体の不備を指摘した時は,喜んで対応するだろう。もっとも,今までの発言を見る限り,それは望み薄なのだけれども)。

 あ,「物言いが」とか「言ってる雰囲気が」とかいうのはマジでNGね。それ「批判」って言わないから。それを書きたくなった時は,自分の議論の無力を露呈した時だと思った方がいい。

追記:毎度の致命的な難点に際して

 よくがんばったが,残念。おおむね予想通りだが,DH(反論ヒエラルキー)4止まりだ。相変わらず主張と関係のないところを論じている(したがって,効果がない)。
 なにより,書かれた問いには,他人が言及に値するゴールがない。そうなってしまう理由は,君の議論が「いつもある主張xの代替を目指さなければ」という立場表明に終始しているからだ。代替物の価値を信じたいなら,自力でその価値を論証しなければならない。その仕事を君は怠っている(自分ではやっているつもりだろうが,ノー・アイディアであることに気づいていない。そもそも批判において具体的なアイディアが必要だとは思っていない節がある)。
 「それが首尾よく果たされたとして,どんな価値があるのか?」を明示しないと,他人にやらせる説得力は持てない。他人に「特定のトピックに対して論じることに価値がある」と思わせたいのならば,自分でももっとがんばって,自律した「批評」を立ち上げる必要がある。
 そのためには,今の論法自体を変えなければならないだろう。そのために,僕の発言はどこまでその問いにとって本質的であるのか,本当に吟味できているのか,疑わしい。一言でいうなら,君は何かを生もうとしているそのくせ,選ぼうとしている産婆を間違っている。あるいは,そもそも産む問いがないのに,問いがあるかもしれないことを偽装している(そう取られたくないのなら,はやいところ方法論について批判可能な水準の問いを立ててみなさい。今のままではできないだろうが)。そうでなければ,君がどう考えているのかは知らないが,「君自身が論じたものに影響されて何かを論じ始める人間」は出て来ない。そうした人間を生み出さない文章に,言及する必要は無い。
 そうしたことを変えられない/変えるつもりがない,というスタンスで,これからも似たようなことを続けるつもりなら,特に僕から言うことはない。

死に急ぐ奴らのバラード/ガンメタルブレイズ

玄兎さんの最新エントリより。

ジ「『ガンメタル・ブレイズ』ってやつ、遊んできたんですよ」
玄兎
「ああ、ガンメタ。ファッキンチップ、じゃない、なんとかカード投げだけは面白いとか、色々とアレな評価ばっかり聞いてるけど。どうだった?」

 なんてサラッと本質的なことを言うんだろうと,ちょっと笑ってしまいましたが。
 地元のよしみで紹介しておきます。
『死に急ぐ奴らのバラード』という,マフィア映画的なシチュエーションを遊ぶ同人TRPGシステムが,過去オンライン(http://www6.ocn.ne.jp/~sinibara/)で公開されていました。
 管理人は,自作のシステムから取って死薔薇さん。『死に急ぐ奴らのバラード』それ自体を彼の卓でプレイすることはありませんでしたが,彼の「ファッキンチップ」のアイディアが独特であることは,札幌のコンベンションに長くいるTRPGゲーマーたちにとってはそれなりに知られ,評価されていたことでした。

 現在サイトはリンク切れを起こしていますが,インターネットアーカイヴで2006年までの更新情報を追うことは可能です。
〈ファッキンチップ〉のオンラインでの初出は2001年09月23日です。

ファッキン・チップは、ファッカー自身がイベントを誘発できるカードであり、
死にバラのシステム最大の特色だ。
ファッキン・チップは全部で27種類有り(2001年8月現在)、
死にバラらしいイベントが各カードに記されている。

ファッカーは最大で3枚までの手札を有し、
ゲーム中いつでもファッキン・チップを出してイベントを起こせる。
ただ、ひとつだけ制約があり、それは自分自身に対してカード効果を適用できない。
カード効果は、他人(ファッカー、NPファッカー)に対してのみ適用されるのだ。
ファッキン・チップを使われ、その対象となったファッカーは、
甘んじてその内容を受け入れ、演出として活かさなければならない。
ファックする者の義務である。
セッション中、単独行動をするファッカーは、他のファッカー全員の注目を浴びるため、
余計にファッキン・チップの対象となる可能性が高い。
逆に言えば、他人の単独行動により舞台裏に身を置いたファッカーも、
ファッキン・チップの使いどころを考える楽しみがあり、暇は感じないはずだ。
死にバラに、ヒーロー・ポイントという卑俗な概念はない。
ファッキン・チップがその役割を果たすが、自分自身に対しては使えない。
他人のロール・プレイ、セッションの流れを見た上で、それに介入できるだけだ。
自分のチンポを自分でシゴくな。
まずは相手を感じさせろ。濡らせ。そして、相手の愛撫には目一杯に応えろ。
それが真のファッカーというものである。
また、ファッキン・チップは補充も行える。
ただし、手札の枚数は3枚が限度である(ファザーのみが5枚まで)
補充の方法は、お前が勝手に考えてくれ。
GMのもつファッキン・チップの手札の数、補充のタイミングも好きに決めろ。
また、セッション中に死亡したファッカーは、即座に手札を最大数まで補充できる。
カードを出すという形で、以後もセッションには参加することが可能となる。
ファッカー死亡後も、プレイヤーに暇な思いをさせてはイケないのである。

以下に、ファッキン・チップを記す。
死にバラのプレイをしようという酔狂なナイス・ガイは、
以下の内容をどうにかして、カード状のものに印刷し、活用してくれ。

『死に急ぐ奴らのバラード』(2001年版,インターネットアーカイヴより)
http://web.archive.org/web/20011103203058/http://www6.ocn.ne.jp/~sinibara/

 これに対して,『ガンメタルブレイズ』における〈シチュエーションカード〉の説明がWikipediaにあります。

シチュエーションカード
 本作品のルールブックには51枚の「シチュエーションカード」が同梱されている。シチュエーションカードはセッション開始時に、プレイヤーとゲームマスターの手札として配られる。セッション中、このカードはゲームマスターやプレイヤーから、別のプレイヤーに向けて提示される。提示されたプレイヤーは、カードに書かれているシチュエーションをロールプレイで再現できれば、そのカードを「ブレイズトリガー」として自分の場札に加えることができる(プレイを拒否することも可能)。
ブレイズトリガーは、自分のキャラクターが(使用コストのかかる)モーションエフェクトを使用する際、カードに書いてある数値の分のコストとして使用できる。
(LightWriterほか,「ガンメタル・ブレイズ」(Wikipedia)より)

 もちろん,この二つの記述は,ルール的な位置づけがだいぶ異なっていますし,また前提としている〈背景世界〉も異なります。さらに言えば,前者は商業的な展開を行わない同人TRPGであり,後者は出版流通に乗りISBNコードを持つ商業TRPGシステムだ,という違いもあります。また,こうした記事によくあるような「パクリだ」とか「アイディアに欠ける」とか,あまり意味のない主張をするつもりもありません(なにしろ,ルールの組み合わせ次第で,TRPGシステムの質感などいくらでもかわるのですから,その一部がたまたまほかのシステムと似ていたところで,何の瑕瑾にもなりません)。

 しかし,本質的に,この〈ファッキンチップ〉のコンセプトが,2001年に札幌で遊ばれていた頃から『ガンメタル・ブレイズ』発売に至るまでの8年間,ほとんどTRPGシステムの表現史において論じられてこなかったことに,TRPG批評の貧しさ(というか「無いも同然」)であることを感じずにはいられません。
 8年もあれば,『死にバラ』と比較する必要も無いほどの,飛躍的なシステムのイノベーションを見たい,とも思いたくなるものです。しかし,サポートがいくら手厚く責任感があっても,システムの革新は相変わらず緩やかです。
 CRT表の使い回しでシミュレーションゲームを根付かせたアヴァロンヒル社の過去を考えるならば,私の言っていることはむだにSPI社的なものをTRPG市場に求めているだけかもしれません。今のTRPG市場で,新しいアイディアがガンガンと発売されるTRPGシステムに盛り込まれている,ということを期待するのは,筋違いというものかもしれません。
 ですが,商業ではなかなか挑戦できなかった前衛的な表現への挑戦が,忘れ去られ,今頃になって「商業作品のイノベーション」として論じられてしまいかねない今の状況は,一体自分たちユーザーはシステムデザインというものについてどれだけ真面目に考えて来られたのか,疑わざるを得ません。
 
 今年の五月,私は札幌に帰ったときに,『死にバラ』をよく知るゲーマーの先輩と飲みました。彼は『ガンメタル・ブレイズ』に『死にバラ』的なギミックがあることについて,大層憤慨していました。
 これを,「地方の同人TRPGなんて知ってるわけないだろ」というのは簡単です。しかし,商業に乗れば,はじめてTRPGはゲームシステム批評の対象となる資格を得る,というようなことになるのでしょうか? 私には,そうは思えません。なにしろ『死に急ぐ奴らのバラード』は,誰でもインターネットさえあれば閲覧できるシステムでした。日本中のだれもが,遊ぼうと思えば遊ぶことができたのです。
 安心して遊べるゲームが継続的に提供されることと,それが表現として新しいことは,別の評価軸です。そして『死に急ぐ奴らのバラード』は,手厚いサポートや高い整合性は確かに望めなかった作品でしたが,八年後の『ガンメタル・ブレイズ』と比較しても,コンセプトデザインにおいてまったくひけを取らない,斬新なメカニズムデザインでした。
 馬場秀和が述べたゲームマスターの三つの作業分野*1の一つ,〈システム選択〉を支えるための批評を考えるならば,私たちは『死に急ぐ奴らのバラード』の2001年の成果を,忘れるべきではないと考えています。
 同人ゆえに「ユーザーサポート」に難があった『死に急ぐ奴らのバラード』の代わりに,ぜひとも『ガンメタル・ブレイズ』には,長く続いてほしいものです。

*1:〈システム選択〉〈シナリオ作成〉〈セッションハンドリング〉のこと。これを一通りこなすことを馬場は〈マスターリング〉と呼んだ。これに〈ヒューマンアフェア〉と〈啓蒙活動〉を含めると5つとなるが,馬場秀和個人の思想的立場を抜きにして考えると,三つに限定することがおそらく妥当だろう。