中沢新一『はじまりのレーニン』

はじまりのレーニン (岩波現代文庫)

はじまりのレーニン (岩波現代文庫)

 共産主義者としてのレーニン像を、

 の3題話によって組み替えるという奇書。
 ごめん、正気度下がっちゃったよ。でも、読み物としては非常に面白かった。少なくともレーニンの「笑い」について活写した中沢新一先生は、なるほど優れた文筆家だな、と思いました。最後まで一気に読ませる筆致。「ΩΩΩ」が何度アタマをよぎったか数えきれませんが。*1
 グノーシスキリスト教神秘主義に興味がある方は読んでみてもよいかもしれません。参考文献も意外と充実しています。

*1:つまり「な、なんだってー」。虚仮にしているのではなく、私程度の哲学・宗教学知識では検証しようがない領域にダイブしているのですね。だから鵜呑みにするわけにいかないのですが、魅力的な説ではあります。共産主義者として視るよりは、ロシア・ドイツ・ヨーロッパ思想からレーニン脱構築するという態度には感銘を受けました。思想家としてのヘーゲルに改めて興味をもてたのが、今回の読書における最大の利得です。

林達夫・久野収『思想のドラマトゥルギー』

思想のドラマトゥルギー (平凡社ライブラリー)

思想のドラマトゥルギー (平凡社ライブラリー)

 林達夫久野収、博覧強記の知識人同士が、半世紀前に広がっていた日本の〈教養人〉の風景を、対話を通じて見事に立ち上げています。
 竹内洋(2003)*1が指摘するように、わたしたちはすでに〈教養主義〉の効力をほとんどアテにできない時代を生きていますが、それでも鶴見俊輔羽仁五郎清水幾太郎といった、当時の知識人を代表する一流の名前が、彼らのやりとりの中で英雄列伝のごとく登場するさまは、ほんとうに〈教養〉が価値あるものとして認められていた時代の薫風を感じ、圧倒されてしまいます。こういう時代が確かにあったのだと。
 こういった本を紹介した時によくりがちなのが「教養の復古を!」といった懐古趣味ですが、私はそういうのに関しては、ブッチャケアリエネエ、と思います(それを簡単に口にする人は、〈文化的資本〉とは何かをよく理解していない)。しかしその代わりに、彼らの実力に一歩でも近づけるような知者でありたいと、私的な感慨を抱くことくらいは、許されてもよいのではないかと思いました。
 〈教養〉については、もう他者に押し付ける気にはなれないですね。武道やらスポーツやらと同じで、やりたい人がやればいい、というのが私の意見です。やれば必ず見返りがあるってものでもないですしね。

*1:竹内洋,2003『教養主義の没落─変わり行くエリート学生文化』中央公論新社