〈一意的描写〉と〈意志決定〉の対立─『Aのネットラジオ』で語られた演劇論からTRPGを考える

 昨日、東京に来ていた氷川霧霞さんと飲んでいて、
「いつになったらちゃんとTRPGの理論的な話をするんですか?(笑顔)」
と釘を刺されたので(アイタタタ(笑))、ちゃんと今回はTRPGの話をしようと思います。はい。

 久しぶりに本格的に長くなったので、本当にヒマな人だけ読んでください。後で文句を言われても、論じる内容がたまたま重かったということで諦めてください。Scoops RPGコラム並みの長さになってしまいました。

 二つの問題を扱っています。「TRPGシステムが写実主義的な演劇の可能性をカバーしてこられなかった理由」と、「〈一意的描写〉を目指し続けると、それは〈ゲーム〉ではなくなってしまうという矛盾」についてです。

 あまりに長いので、今月の更新はこれでSTOPします。暫くコレだけ読んでくださればいいのではないかと思います。もしかしたら、機を見て手直しして、Scoops RPGに投稿するかもしれません。まだわかりませんが。

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新清士のMOD論から“ゲーム開発キット”としてのTRPGを捉えなおす(2)─「自動マリオ」が〈ゲームデザイン〉と言い切れない理由

 私は今年の6月下旬に、「〈MOD〉の観点からTRPG評価の軸を考えてみようじゃないか」という趣旨の話*1をしました(新清士の議論については、ぜひリンク先から辿って一読してみてください。ゲーム産業研究の最先端の立場から、刺激的な知見が述べられています)。

 今回はこの話の続きになります。同じ〈MOD〉を使っても、そこから生まれるモノが必ずしも「ゲーム」とは限らないということを、新しい「改造マリオ」の動画を例に引きつつ、論じたいと思います。

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