多摩豊の「RPG世代論」を正しく把握する

多摩豊 1995 『次世代RPGはこーなる!』メディアワークス.】

 を読みながら、「RPG世代論」の定義を再確認しました。

次世代RPGはこーなる! (電撃ゲーム文庫)

次世代RPGはこーなる! (電撃ゲーム文庫)

 RPG世代論は人によって違い、その都度「TRPG世代論ってなんやねん」と混乱が見られるようです。たぶん、馬場秀和さんの(すこぶる評判の悪い)「RP」とか「P」とかとごっちゃになっているのでしょうね。*1。それは今回話す多摩豊氏の世代論とは全然違いますので、ご注意ください。
 私が世代論を話すときは、通常この多摩豊さんの「世代論」に準拠し、多摩さんの使ったとおりに使おうと考えています。今回のエントリは、今後そういった話をする際の踏み台のようなものですね。

 ちなみにこの本は、単にテーブルトークRPGだけでなく、当時既に一大産業として成立していたコンピュータRPGのデザイン思想も絡めて、自由にRPGのあるべき未来について論じた名著ですので、もし、読まれたことのない方は入手されることをおすすめします。
 「職業としてのRPG批評家」というものがもし存在し得るのだとすれば、その国内でもっとも影響を与えた例が、おそらく多摩豊さんなのではないかと私は思います。*2本当に惜しい方をなくしました。

 まず、第一世代RPGからいってみましょう。

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俵ねずみのロールプレイ論

 なんだか以前のエントリで大変コメント欄が盛り上がりました。
 皆さん、ロールプレイ論は好きなのかしら。
 それはさておき。
 まっとうにTRPGのゲーム性について考えながら、「キャラクターのロールプレイ」をどのように実現するか、という観点の論考を書いた人に、俵ねずみさんという方がいらっしゃいます。
 馬場秀和さんがかつて(90年代末に)批判した「キャラクタープレイ」に関して感情的なだけの不毛な非難が多かった中*1、馬場さんの議論を理性的に受け止め、「キャラクターの人格をロールプレイすることの上達とは何か?」について真剣に考察した、先駆的な論考です。

自分でキャラクター自身の論理的一貫性=「ふるまいかた」を保ちながら遊ぶことへの飽くなき挑戦は、現在の国産TRPGで主流となっている面白さと強く共振するのではないでしょうか。

■俵ねずみ,2002『ロールプレイについての考察』
http://www.river.sannet.ne.jp/rojin/kousatu_roleplay.html

 私事ですが、俵ねずみさんとは、私がScoops RPGに2004年で初めて論考を上梓した時に暫くメールでやりとりさせていただきました。そのときにも大変刺激的なお話を聞かせていたいただき、大変勉強させていただきました。このごろは私自身がScoops RPGに出不精になってしまい、音信もなんとなく途絶えてしまっているのですが、未だにこの人のように理性的に〈意志決定〉と「キャラクターのロールプレイ」を網羅的に論じられた方は、見かけていませんね。*2TRPGが本来持つゲームとしての面白さをいかに崩さずにキャラクターの「ふるまいかた」をゲーム的に構成して行くか、という視点が徹頭徹尾貫かれています。

 今こそ多くの方に読まれるべき論考ではないかと思います。

*1:中でも「細江ひろみ」関連の問題は良く聞きますし、当時巻き込まれた方には同情しますが、Nifty内ゲバを離れてフラットに見れる今の私たちがわざわざそのことを考慮してまでしてキャラクタープレイ批判を評価するのも問題ありです。テクストはテクストとして読まなければなりません。

*2:仮想光線さんくらいでしょうか。