教材としてのD20・SRS

 D20 Systemを久しぶりに見ていて、深夜にふと思いついた。
 1週間前くらいから言っている、〈ファシリテーション〉の一例。
「個人利用」の範囲でフリーでまわして配布できるD&D簡易版みたいなシステムを作って、D&D3.5版3冊(2万円相当)を買う金がない子供たちにTRPGの面白さの基礎を伝えられるGMがいたら、既存システム全体の売り上げもだいぶ変わってくるんじゃないですかね?

 F.E.A.R.が提供しているSRSでもいいのですけれどね。*1英語が読めるなら、あっちの方にデータリファレンスがいくらでもあるから断然有利だ、というだけで。
 ゲーマー個人としてシステムデザインレベルでものを考えた場合、ダイス判定のメカニズムは世界記述の方針を決めてしまうというのが常識です。その範囲でシステムデザインに挑戦することは、TRPGのシステムデザイン全体の可能性を探求することを考えた場合、「もっともクリエイティヴである」とは少し言いがたいところがあります(よほど素晴らしい〈背景世界〉が、そのダイスシステムと適合したカタチで提供できるなら別ですが)。
 したがって私はこれまで、D20やSRSに対してはあまり個人的な興味がもてなかったのですが、そこに「非商業目的でTRPG普及に使える無料システムデザインを設計する」という目的をはさめば「本格的なTRPGシステム」としての『D&D3.5』や『アルシャードff』を評価できるような競技人口を増やすたすけになるのではないか、と思うようになりました。
 さて、現実問題として、以下の3つの問題が考えられます。

  • どこまでデチューン*2を掛ければ、プロの方に迷惑がかからない「教材用システム」として認められるか。
  • どういう〈背景世界〉を設計すれば、できるだけ多くの人にもTRPGの4つのプレイ目標*3を理解してもらえるか。
  • D20システム、あるいはSRSシステムから商業TRPGの購入へと移行させる場合、どういう評価基準でTRPGシステムの〈システム選択能力〉を身に付けてもらえばよいか。*4

 このあたりの考え方が整理されれば、「部活動でTRPG」とか「ゲームデザイン部」とかいったものが、単なる趣味の領域じゃなく、ちゃんとした文化活動として可能になるのではないでしょうか。クリス・クロフォードとかエリック・ジマーマンの文献と一緒に、多摩豊とか新清士のデザイン論も勉強しつつ、ゲームデザイン実践も楽しめる、みたいな部活。
 いまデジタルゲーム業界でプランナー業をやってる方々は、学生時代のうちに多かれ少なかれ自分でそういう環境を作ってきたと思うのですが、そういうのを組織的に提供すれば、ゲームエリートならぬゲームデザイン・エリートが増え、今のゲーム業界ももっと面白くなるのではないでしょうか。今TRPGを現役で楽しんでいる人にとっても、悪くない投資ですね。
 D20システムの翻訳ライセンスは今のところないみたいなので、英語を読める人にしか仕えないわけですが、それはそれで「英語の勉強としてゲームデザイン実習です」とか言えば。……ダメか(笑)。
 日本語の障壁を考えると、一番難易度が低いので使えるものはSRSですが、こちらはこちらで、2d6で進行管理となると、SRSからアクロバティックに進化した『天羅WAR』くらいうまくできるGMでない限りは、あまり面白そうなのができなさそうな感じがします。
 なんにせよ、基礎として提供するべき〈背景世界〉がネックかもしれませんね。面白さの根幹になる要素なので、教材TRPGだからといって、〈背景世界〉をしっかり設計し提供する腕がないと、そもそも遊んでもらえない。D20であれば、D20クトゥルフD20モダンあたりが参考になるかもしれません。アクションポイントはあったほうがいいですよねー。
 誰か作ってくれれば、中学生相手にGMやるくらいはしますよ?
 

*1:ところでSNEの2d6システムはどうなった。『スクラップド・プリンセス』で終わってるぞ。

*2:プロの製品と競合しない程度に、システムの面白さを制限すること。これは既存の公式製品のデータ・ルールに抵触する危険性があるため、システムデザインの巧拙に関わらず考えなければならない。

*3:〈課題の解決〉〈役割分担〉〈ロールプレイング〉〈狙いの再現〉

*4:これは、D&Dばっかり遊んでD厨になったり、ソードワールドばっかり遊んでソ厨になったり、F.E.A.Rゲー遊んでばっかりでFEAR厨になったり、冒険企画局ばっかり遊んで冒厨になったり、Aマホばっかり遊んでα厨になったり、海外TRPGばっかり遊んで海外厨になったり、えーともういい? ともかくそういう偏食ゲーマーを生み出す不幸を防ぐためです。私はそれぞれのゲームは好きですが、そういう立場を黙認したまま〈システム選択能力〉を狭めるのはちょっとごめんです。マスターリングうまくならねえし、そんなんじゃ。一部のゲーマーが好き好んでそうするならともかく、教える側としては、生徒さんのためにならないことや、システムデザイナーの儲けにつながらないことをしてはいけませんよね?

3者の誰も欠けることがない〈ゲームコンセプト〉尊重の精神─鏡さんへの返答として

 鏡さんに対する考察をさせていただいたところ、昨日トラックバックの返信をいただいたのですが、今回ばかりはちょっと驚いてしまいました。

■鏡2008.03.10「自由は古く、管理が新しい」
http://www.rpgjapan.com/kagami/2008/03/post_128.html

 鏡さんがそこまで明確に「進行管理」系のゲームデザインを“否定”されてしまうと、*1「ちょっとまって、鏡さんは古今東西あらゆるゲームシステムを公正に批評する基準を作る価値を認めてないの?」と思ってしまいます。

 結論から言うと、私はゲームマスター〈システム選択能力〉を尊ぶ状況が保証されている限りは、鏡さんの「自由/管理」の区別はナンセンスな、意味のない議論だといわざるを得ません。
 そもそも上手なゲームマスター〈システム選択能力〉に秀でています。そのため、自分のやりたいことが阻まれるようなシステムを初めから選びません。
 そのような前提が認められていない議論──つまりイマドキのシステムを選び取っている、新しいタイプの〈ゲームマスター〉には〈システム選択能力〉が望み得ない、というところから鏡さんの〈運用〉に関する議論は出発しているように見えます。*2

 もっとも重要なのは、この一段落です。

「自由」か「進行管理」か、どちらを選ぶのももちろん自由です。むしろ「ゲームコンセプト」の名の下に「進行管理」を強制することこそ、避けられねばならないでしょう。

 違います。そもそも「進行管理を強制する」主体は実は存在しません。むしろシステムデザイナーは、デザインコンセプトの旗本に、そういうものをガンガン提供するべきです。公式リプレイとか公式シナリオとか、ガンガン出して初心者も上級者もサポートしていい。
 しかし一方で、私たちがそうした親切なシステムサポートに過剰に依存することなく、独自の〈運用〉スタイルを現場レベルで構築していれば、独自の面白さを追求できなくなるようなことはありません。

 「システムデザインレベルのゲームコンセプトの提案」は、必ずしも鏡さんが心配するような「ゲームコンセプトの現場への強要」を意味しません。なぜならそこには常に〈システム選択〉という重要な作業がはさまれているからです。
 そして、そのようなかたちで(鏡さんの前提とはかなり異なるプロセスによって)〈システム選択〉の自由が保障されるためには〈システム選択能力〉が現場で十分に成熟している必要があります。
 鏡さんは、「進行管理」系が含まれたTRPGシステムを選び取っている人々に、〈システム選択能力〉がないかのような物言いになってしまっています。しかしそうではない。イマドキのゲーマーのうち、少なくない数の人たちが、“それでしか果たされない”ゲームコンセプトを求めて、自らそのシステムを選んでいる。〈システム選択能力〉へのまなざしはちゃんとあるし、それをさらに各々の努力で成長させることは可能なのです。

 鏡さんが今後最優先すべきは〈システム〉批判でも〈運用〉批判でもなく、「自分の〈運用〉スタイルが確実に面白く、魅力的に思わせられるような明晰なマスター論の確立」、だと思います。もし公平に〈システム選択〉を行う価値を認めず、他人の〈運用〉を否定する不毛な作業に神経をすり減らすなら、それは鏡さんにとっても他のTRPGプレーヤーにとってもあまり建設的ではありませんから、やめた方がいいと提案させていただきます。

 私が言いたいことはすでに尽きたのですが、このことを〈ゲームコンセプト〉という考え方で詳しく説明したものを読まれたい方は、以下の段落以降も読みすすめていただければ幸いです。
 最後に多摩豊氏の貴重なゲームデザイン論も引用していますから、その文章を読まれることもあわせておすすめいたします。

続きを読む →