#FalettinSouls s2eX05: Aretha Franklin

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1. Aretha Franklin. Think. 1968.
2. Aretha Franklin. Do Right Woman, Do Right Man. 1967.
3. Aretha Franklin. Rock Steady. 1971.
4. Aretha Franklin. [cover] Why I Sing The Blues. (orig: B.B. King, 1959) 1970.
5. Aretha Franklin. [cover] Eight Days On The Road. (orig: Fghat 1974.) 1974.
6. Aretha Franklin. Jump. 1976.

【2021-06-11 Fri 朝】

きんきんきんようびー。いくら寝ても疲れが取れない(老い)。先月ほど雨続きではないのが救いか。さて今日は #FalettinSouls 単一ユニット特集、アレサ・フランクリンの弊番組セレクト6曲となります。入門とは違いますのでご注意を。

年代見るとほぼほぼアトランティック時代だな……コロンビア時代皆無だな……。

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【夕】

夕方になりました。#FalettinSouls Season2, eXtra-episode 05, Aretha Franklin 特集をお送りします。

さっそく始めましょう。

1. Aretha Franklin. Think. 1968.

Aretha Franklin (アリーサ・フランクリン、本邦ではアレサで通じている)は、1942年生-2018年没の米国出身の歌手です。ジャンルは第一にソウル、そしてソウル・ミュージックの産業や文化と密接な関わりを持つゴスペルの歌手です。

アレサは牧師の父とゴスペル歌手の母との間に生まれました。母はアレサが幼い頃に浮気性の父に呆れ出奔、そして早逝します。そんな浮気性の父はしかし、1940-50sにかけてメンフィス、ニューヨーク、デトロイトなどで「百万ドルの声」と称賛される説教師として北米を説諭して周りました。

ここでちょっと補足。牧師なのに100万ドルの声ってどゆこと? と思いますよね。これはまんま「講演商売」で多稼ぎするほど説教が上手かったということです。日本だとプロの坊さんを講演に呼ぶのに金を払うということは(瀬戸内寂聴さんなど芸能人枠でない限り)なかなかないですよね。

北米バプテスト派の牧師、しかもいわゆるアフロアメリカンが主な信徒として集まる教会(非公式にblack churchなどと括られることもあるが正式な呼び名ではない)では、黒人霊歌から始まる典礼としての歌の捧げ物、「ゴスペル」があり、アレサの父 Clarence LaVaughn Franklin 〔クラレンス・ラヴォーン・フランクリン〕も、歌を得意としました。

つまり、一声聴くだけでメロメロになるほど美声で、神とキリストの話をして、仕上げにそれを歌として歌ってくれちゃったりするわけです。教会における信仰実践の場から出てきたある種のショウビズにおける20世紀有数の成功者、それがC.L.フランクリンだったというわけ。

そんなCL父さんの成功により、フランクリン家には篤信家はもちろん、ゴスペルミュージックに近しい才能に溢れた人々も出入りしていました。その中の女性たちとアレサ父は次々と関係をもったりするのですが(コラーッ牧師ーッそら妻も出て行くわーっ)。

つまり、キリスト宗教とゴスペル音楽の文化資本が、高貴と紊乱との狭間に蓄積されたような家、それがフランクリン家であったわけです。その家の娘として生まれたアレサも、キリスト教への深い崇敬の念と、父母から継承したゴスペル音楽の才、そして性愛に関する深い疵をも、まるごと継承するのでした。

歌の紹介もしておきましょう。Think これはのちにアレサも出演した『ブルース・ブラザーズ』(1980年)[1][監督]ジョン・ランディス. [主演]ジョン・ベルーシ and ダン・エイクロイド. ブルース・ブラザーズ. 1980. ( AmazonPrime: https://www.amazon.co.jp/dp/B00G9SZ804 )で、怪しい黒服二人組に旦那が絆されて連れられていこうとするところに怒りの表明をする妻の歌う歌として、大胆なアレンジが為されます。この映画でJBやアレサを知ったという人も多いでしょう。

そんな私といえば、ファンクを覚えたてでまだ正統ソウルまで心が向いていなかった頃に見たもので、今回のThinkとブルースブラザーズ版 Think が繋がってませんでした。せっかくAmazonPrimeで見られるので見直しておきましょうね……。00:50からアレサの出番があります。モブのダンスも印象的です。

曲の内容自体も、アレサ・フランクリンの曲 “Respect” が公民権運動やフェミニズム運動の象徴として扱われるのと同様、白人黒人間や男女間の自由と平等を願う歌として受容されました。発表は1968年の05月。キング牧師が暗殺された一月後のことでした。フランクリン家はキング牧師とも親しくしていたという文脈があります。

2. Aretha Franklin. Do Right Woman, Do Right Man. 1967.

さて、先程は家庭環境の始まりの話をしましたが、次はデビューから1960s後半の話までをします。アレサはフランクリン家における文化資本を一心に受けて、幼い頃からゴスペルの才能を発揮しました。

特に、フランクリン家に出入りしていたゴスペラーズ(語弊がある)の中で特に影響されたのが、父の愛人の1人である(という話が通じるのがフランクリン家の凄いところだな)クララ・ウォードに、ゴスペルの面で大きな影響を受けたとされます。

そんなこんなで(12才の時と15才の時に別々の男性との間に子を設けるなど、だいぶ入り組んだ私生活上の出来事を経ながら)1961年にコロンビアレコードと契約してデビュー。一応1956年にはゴスペル歌手として音源を出してるんですが、これは厳密にはアレサの商業デビューとは言えないんですよね。

これも多くの人にとって謎ポイントになると思うので、説明しますと、ゴスペルって「商業音楽市場」と言うのが憚られるものです。ゴスペルで活躍した人が「ソウル音楽の市場に進出する」のは、1930-1950sの間には徐々に盛んになりました。でも、ゴスペルって基本「教会音楽の音源化」なんですよ。教会の祈りを円盤に刻みつけて売るのは、なんでも聴く我々にしてみればありがたい限りですが……ゴスペルとソウルの関係を、日本で身近なものに置き換えるのは難しいですよね。「坊さんのお経をラップにして儲けてます」と喩えても「それいいじゃん!」になっちゃいますしね。

歌唱法およびその栄達の基盤自体は共有しているのに、「教会のために歌うのか」「世俗のために歌うのか」で、割合はっきりとジャンル所属者への反応が分かれていた、それが1950-60sあたりまでのゴスペルとソウルの関係でした。

とりあえずここでは、アレサのソウル=商業音楽デビューは1961ということで覚えてください。ゴスペルで培ったうたうまの姫[2]歌が巧い人を、現代俗語で「歌うまの民」などと言ったりする崩し表現の応用。が商業に進出したってわけです。ところが、一般にアレサはコロンビアレコード時代(1961-1966)では曲に恵まれなかったと評論筋ではいわれます。ジャズ・スタンダードに近くて、ゴスペル・ソウル文脈の音源が少なめの方針だったんですよね。

風向きが変わったのは、アトランティックレコード時代です。ここでいうアトランティック時代とは、1966年のマッスルショールズ収録イベントから、ディスコブームが訪れると前後してアレサが不調になる直前までの1976年頃までの約10年間を指すことが定説でしょうか(19枚組コンピCDの売られ方もそんな感じ)。

今回まとめた楽曲も、アレサの最盛期と言われるそのアトランティック時代の10年間に集中していますね。個人のセンスで集めたつもりが、「僕、アトランティック時代だーいすき!」と開示しちゃったようなもので、お恥ずかしい限りです。とはいえアトランティック時代を紹介するのにも、無限の相・切口があるのですが……。

はい、楽曲の話。そんなわけで2曲目は「いかにもソウル・ミュージック的なリズムを持つアレサの代表アルバム収録曲」というコンセプトで選びました。ゆったりとした三連符で進行していますよね? 全てのソウルがこのリズムではないですが、ソウルで良く使われる譜面構成となります。

これは元を辿ると1920-40sまでの主なジャズの形式であったスウィングジャズの三連符から来ています[3]Dr.ファンクシッテルー. 2020.『ファンクの歴史(上): ファンク誕生編』. KINZTO RECORDS. (※AmazonKindle電書独占配信) 。とはいえソウル音楽は、20世紀前半の北米に存在したジャズ(スウィングジャズ)、ゴスペル、そしてブルースの文化からそれぞれ影響されて出来ているので、厳密に言い切れないのですが。

3. Aretha Franklin. Rock Steady. 1971. [4]紹介時、1972年と誤記していました。

3曲目。ここからいかにも #FalettinSouls らしい、ファンク要素が強い選曲が続きます。ギターのカッティングも含めて極めてファンクビートですね。JBがファンクを発明してからまだ4年しか経ってない時期であることにご留意ください。[5]#FalettinSouls Season1; 2020-12-25 特集:Trail of (JB) Funk

rock steadyと言ったとき、これは「ロックの恋人」という意味ではなくて、1960s後半にジャマイカで短期的に流行したスカやレゲエのサブジャンルという意味に(も)なるんですが、あんまりそれに特定しなくても「ノリノリの曲」くらいの扱いになってますね。

ちなみにここのオルガン鍵盤は、この時代のニューソウルの代表選手でもあるダニー・ハサウェイが弾いております。かっこいいわけだわ。ちなみに、王道ソウルよりややビート感を強めた、レーベル的にメンフィス等南部から出てきている北米ソウルの一群を「サザンソウル」と呼ぶこともあります。「こともあります」などと濁してるのは、ソウルミュージックにおけるSouthern/Northernを区別する考え方がそれほど自明ではなく、またソウルについて語られる地域や時代にとってもややブレがあるためです。このあたりの厄介さは、音楽評論家でソウルに詳しい(なんてったってソウルをサーチンしてる人)、吉岡正晴さんの注釈を読んでいただければとおもいます(吉岡正晴 2012)[6]吉岡正晴. 2021-11-16.「ノーザン・ソウル」とは~フローレッツ・ライヴから(パート2). 吉岡正晴のソウル・サーチン. … Continue reading

4. Aretha Franklin. [cover] Why I Sing The Blues. (orig: B.B. King, 1959.) 1970.

これは書き忘れましたが、B.B.Kingの原曲(1959年)のカヴァーですね。アレサが歌うミドルテンポのブルースということで拾ってみました。

この曲調は、B.B.Kingがブルースの王様であるように、ビートルズ以前のブルース色の強いロック、1980年に『ブルース・ブラザーズ』が伝道するようなブルースロックに近いですね。他方で、後ろで2種類以上の電子鍵盤が鳴ってるのがニューソウル時代[7]#FalettinSouls Season1; 2020-12-29.の幕開けだなーと思わされます。ハモンドとローズ?

5. Aretha Franklin. [cover] Eight Days On The Road. (orig: Fghat 1974.) 1974.

残り2曲となりました。5曲目はFoghatというブルースの土臭さを濃厚に残したUKロックバンドによる曲をアレサが同年に(!)ゴスペル風に(!)大胆にアレンジ!

私はこの曲が収録されている1974年アルバム Let Me In Your Lifeが全体的に好きです。電子楽器が一通り揃った後の余裕のあるニューソウル時代の音源だからかな。まだディスコブームで混乱しておらず、60sソウルの大物がまだ次の大波を乗り切ろうとしてた頃。このあと早死にしたり、乱調したりしがちでさ。

ちなみにこの1974年から2年遡った1972年に、アレサはバプテスト派の教会の皆さんの力を借りて、ゴスペルコンサート『アメイジング・グレイス』を2days敢行します。映画化に成功したのはごく最近ですが、抄アルバムはすぐに出て大人気に。2日間の音源を揃えた完全版もだいぶ遅れて出ました。
映画版の『アメイジング・グレイス』は、今年の05月末から全国のミニシアターで公開されてます。もしソウルファンでまだ観ておられない方は、コロナに気をつけつつ、必ず行ってください。私は今週末ポンポさんリピりつつアレサもリピりたい気持ちで一杯です(どっちもチケット取りづらいくらい人気だ)

とりあえずこのトレイラーを観るんだ! そして行け!


実は、この映画を見ることで、今日の前半で語ってきたような……アレサにとってゴスペルとは何か、ソウルとは何か、歌とは、ビジネスとは、奉仕とは、信仰とは、父とは、母とは、道とは、愛とは何か……などが、直接には語られずとも、雄弁に伝わってくるんですよ。あらゆる御託が吹き飛ぶ傑作。涙を流して歓喜に溢れましょう。

本当は『アメイジング・グレイス』見てきた感動の勢いで急遽アレサ特集やろうとしたのだけど、ゴスペルとソウルのバランスが難しくて結局今回はアレサのゴスペル面をほとんど拾わずファンキー目線で6曲消費してしまったのだとさ。(他人事のようにまとめる)

『アメイジング・グレイス』はとても良く売れた初出盤

6. Aretha Franklin. Jump. 1976.

最後の6曲目です。これは1970年代アレサ最大のヒットアルバム『Sparkle』の一曲ですね。

この後、アレサにはどうにもならないレベルで世界中にディスコブーム[8]#FalettinSouls Season1; 2020-12-22 The Disco Fever (前編). が巻き起こり、既存R&Bだけでなくロックも何もかもがディスコに寄っていった結果として、王道ソウルを演っていた人たちは思うように活躍しづらい時代になってしまいます(文脈保持してなんとかやれたのはスティービー・ワンダーくらいか?)

この後、マイケル・ジャクソンやプリンス[9]#FalettinSouls Season1; 2020-12-16 特集:プリンスとその後裔が出てきて、モータウンやアトランティックの出してきた古典ソウルとは違う文脈から、R&Bの良さを再編成してゆくことになるのですが、アレサはあくまで1970sまでのソウルの文脈を活かしたまま大御所として音楽界で生き抜いてゆきました。

その後、アレサ・フランクリンが得た栄誉について箇条書きしておきます:

  • 2005年: ブッシュ政権時代に「大統領自由勲章」を授与される。
  • 2008年: ローリングストーンの選ぶ史上最も偉大な100人のシンガー(2008年実施)第1位。
  • 2009年: オバマ大統領就任式にて”My Country ‘Tis of Thee(orig: Billy Preston)を披露。

2009年の歌声はこちら。

2009年 オバマ大統領就任式におけるアレサ・フランクリンの歌唱

さらに2015年12のケネディセンターでの “Natural Woman” パフォーマンスも、オバマ大統領が観覧していました。[10]grape編集部. 2016-01-21. オバマ大統領も涙…ソウルの女王アレサ・フランクリンが弾き語りで熱唱!. grapee. https://grapee.jp/132287 (2021-06-12).

※下記の動画、サムネイルは出ていませんがクリックすると適切に再生されます。

2015年ケネディセンターにおけるアレサ・フランクリンの歌唱

この晩年のアレサとオバマの交流もあり、2018年の追悼のときには、オバマ大統領から彼女のキャリアと栄光とをよく捉えた弔辞が送られました。

アレサはアメリカ人の経てきた出来事が何であったかをより明確にしてくれました。彼女の歌声の中に、私達は自分たちの歴史を、そのすべてを、その裡にあるあらゆる陰影さえをも、感じることができたのです――力強さと痛み、闇と光、罪を贖うための旅路、そして辛くも手にした“Respect〔自らを尊ぶ心を、他者から受ける尊敬の心〕”を。ソウルの女王〔クィーン・オヴ・ソウル〕に、永遠の安らぎのあらんことを。

Barack Obama 公式Twitter投稿 2018-08-17.

1987年に、アメイジンググレイス以来の第2ゴスペル・ライヴ・アルバム “One Lord, One Faith, One Baptism” も出しており、このアルバムもとても素晴らしいのですが、今回は紹介しきれませんでしたね。1980s以降から晩年までのアレサの活躍は、また日を改めて紹介したいと思います。

今日は伝記的事実と音楽的な話の並べ方に苦心しました。アレサは巨大すぎてやはり難しいですね。何度でも特集できそうで、しかし一回ごとに本気で挑まないと何も掬い出せなさそうな途方もなさがあって。大変でした。さて来週は月曜日にs2e08予定です。またちょっと軟派な感じが入ります。

単一特集は……間に合えば「最新アルバムまで追う東京事変のファンクネス」になるかな? ならないかな?

参考文献

今回は下記雑誌のアレサ・フランクリン特集に考証面で随分と助けられました。やはりプロの音楽ライターの仕事あって、やっとアマチュア音楽語りに背骨が辛うじて通るなと痛感いたしました。

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