#FalettinSouls 2021-02-04 Neo Soul, the 1st Gen.

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  1. Maxwell. The Urban Theme. 1996.
  2. Erykah Badu. Appletree. 1997.
  3. D’angelo. Playa Playa. 2000.
  4. India.Arie. Always In My Head. 2001.
  5. Jill Scott. Brotha. 2000.
  6. Musiq Soulchild. Just Friends (Sunny). 2000.

おはようございます。#FalettinSouls 今日と明日とはネオソウル第一世代特集です。このブームの起爆剤となったディアンジェロは明日も単独アーティストとして扱います。2000.1995-2001あたりに固まるんですよねー。Brown Sugar ないけど許して。

【夕方】

こんばんは。充実してるけど評価は低めだった1日であったな……メロウなネオソウルはそんな日にはむしろ耳にいいかもしれない、アガらず誤魔化さずしかし膿まず病まず。第一世代ネオソウル特集、いってみましょう。#FalettinSouls

01. Maxwell. The Urban Theme. 1996.

この一年前にディアンジェロのアルバム『Brown Sugar』(1995)が出てから、ソウル界はかつてのクラシックな趣からひたひたと何か別のものに変わり始めていました。マックスウェル(本名 Gerald Maxwell Rivela)もその火蓋を切った人。

マクスウェルはこのアルバムで世界200万枚を売って、一流音楽家の仲間入りを果たしました。ビルボードにも78週連続で居残ったと英語版Wikipeに書いてるが、マジだろうか……。この曲は、どちらかといえばジャズフュージョン的な落ち着きがありつつ、明確なソロがあるわけでもない反復音楽になってます

02. Erykah Badu. Appletree. 1997.

第一世代ネオソウル代表だった一人とするならディアンジェロよりエリカ・バドゥかなという気はします。ディアンジェロは起爆剤なだけでシーン代表とするには多角的すぎるので……。ネオソウルの女王の異名を持ちます。

振り変えると、ジャネットやメアリJブライジの90年代の仕事と、エリカ・バドゥの1996-2000の仕事との間に、明確な差異を見つけることってできるのだろうか、とも思うのですが、まあネオソウルという言葉じたい、ディアンジェロとエリカを売り出したキダー・マッセンバーグの造語というのはあるのですが。

03. D’angelo. Playa Playa. 2000.

明日のディアンジェロ特集からはみ出した典型的ディアンジェロ曲から。先ほども触れましたが、ジャンルとしてのネオソウルはディアンジェロの『Brown Sugar』(1995)から動き始めた。でもディアンジェロらしさはまだ先にあったんですよね。

明日はその辺も交えながら喋ろうかと思います。ディアンジェロには第一世代ネオソウルだけに嵌まらない、かなり執念深い、ある種のファンク&ソウル・アカデミズムがあるように思います。ちなみにこのPlaya Playaのピノ・パラディーノによるベースが星野源「ダスト」の参考資料になった話はしましたね

04. India.Arie. Always In My Head. 2001.

エリカ・バドゥもディアンジェロもすっかり2ndアルバムを出して盤石のネオソウル言説を敷いた後の世界の音楽です。インディア・アリーもモータウンのケダーさんと契約して世に羽ばたきました

05. Jill Scott. Brotha. 2000.

今回改めてネオソウル第一世代を洗い直した中では、(ディアンジェロは別枠として)ダントツで好みに近い方サウンドです。この曲が入ってる1stが250万枚を売り上げた。ネオソウルの売れ方けっこうやばいですよね。

ジルスコットまで聴くと、なんとなくネオソウルが商業的都合だけでない何かの様式を形作ってくる気もします。まず朗々歌わない。ラップもしない。しかしボーカルはほぼ必須の要件としてそこにある。静かに、しかしキック強めにリズムは刻まれる。フュージョン的な落ち着きに近づくがジャズではない。

さらにヒップホップのサウンドメイクは大いに参考にするが、ヒップホップとソウルを単純に足し算したわけではない。ビートの刻みを参考にしつつ、もう一度歌モノに戻そうとするような引っぱりの力が働いている。バンドでもディスコでもなく、室内楽のようなミキシング。そして、それは大いにウケた。

商業的にウケたことと様式の類似性が、ネオソウルの場合わりと切り離し難そうだな、とは思う。その一方で、自分はひとつ思うことがあって。もしかして、こういう音楽が1990s後半に生まれたから、R&Bの褒め言葉における「メロウ」という形容詞が、脇役にならずに今も使われ続けてるんじゃないか。

ファンキーとかグルーヴィとかダンサブルとか、そういう言葉は、陽気さや激しい動きを連想させるものがある。他方でメロウという言葉は、ソウルミュージックの中でもゴスペルぽいものやバラードっぽいものによく使われてきた。けれど、ネオソウルからは「抑制的なファンクネス」みたいな矛盾を感じる。

狭い空間の抑制的なサウンドであるにもかかわらず、クラシックなソウルやファンクの良さを継承しているようにも聞こえる、そういう新しい楽曲作りの目指す地点に向けて、「メロウ」という褒め言葉がより使われるようになり、「ネオソウル」の輪郭がより安定していったんじゃないかな、と想像しました。

1990s後半の松尾潔さんのエッセイなどを今読んだらすごく面白いかもしれないと思った。松尾さんこそ、「メロウ」という、いっけんアゲアゲから遠い言葉でR&Bの魅力を語ることにこだわってきた人ですから(そして自分は、動的なグルーヴばかりをファンク&ソウルに求め過ぎてたかも)。

06. Musiq Soulchild. Just Friends (Sunny). 2000.

最後の曲です。彼もデビューアルバムでプラチナディスク(米国基準100万枚超え)のひとですね。つまり今日の回を聴いた人は、100万枚未満しか売れてない曲を一曲も耳にしてないということ(格付けチェック訓練か?

20年も前の売れ行きを読んでもただただ遠い出来事のようにも見えますし、自分が2000年の頃なんてチャゲアスとTHE BOOMと林原めぐみとブリーフ&トランクスくらいしか馴染んでなかったんですから、余計遠いんですが(スガシカオをまじめに聴き出してファンク&ソウルにハマり出すのは2000-2001頃)。

あの頃に多少なりともブギーポップか流行ってなかったら「夕立ち」に会うこともなく、今こうしてネオソウルがどうたらタワーオブパワーがどうたらと話す人間になる世界線にはなってなかったと思うので、ほんと巡り合わせってわからないものですねー。

さて第一世代ネオソウル特集、ほんとはこの3倍くらい候補がいましたが、泣く泣く6曲に絞ってこれでした。とはいえディアンジェロは外したらわからなくなるから明日含め合計7曲にしたけどな! 先週の「星野源とネオソウル」特集に続き、明日はいよいよディアンジェロの煮凝り6曲の日です!

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